竹田城跡に行ってきた 3

 竹田城跡の見学を終えて、コースに従って下に下りる。料金所からの登りは石段だったが、こちらは土の道でかなり急な坂道になっている。

 駐車場まで降りるとタクシーが何台か並んでいた。予約かなと思って聞いてみたら空車だというので乗せてもらった。

 来たときと別のルートで帰りたいので、竹田駅ではなく和田山の駅まで行ったほうが良いかなと思って料金を聞いたら、2500円くらいだというから、このまま和田山駅に行くことにした。

 和田山駅が近づいてきたなと思った頃、タクシーは古い町並みに入った。古いと言っても江戸時代とかじゃなくて、昭和の面影がたっぷり残っているところで、旅館と書かれた小さな看板があったりして、三丁目の夕陽にでてきそうな町並みだった。こういうところを見るとほっとする。

 駅に着いたときには1時半を廻っていたが、次の電車は13時54分発。これを逃すとその次は15時38分になってしまう。お昼はコンビニのおにぎりで済まそうと思って駅の周りを見渡すと、なんとコンビニがない。一瞬絶望しかけたけど、駅の中に入ったらキヨスクがあって、ちゃんとおにぎりも売られていた。

 

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 ホームに上がると駅の裏側に、廃墟マニアが泣いて喜びそうなレンガ造りの建物があった。

 後で調べてみたところSLが走っていたころの機関庫だとのこと。屋根が取り払われたのはそんなに前じゃなさそうなので、保存するのなら鉄骨が錆びて朽ち果てないようにしなければならないのに、保存の話はないのだろうか。

 

 

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  ホームの先のほうを見たらなにやら変なものが見えた。赤い色をした機械のようなもので、鎌首みたいなものが上に突き出している。コンバイン?と一瞬思ったが、それにしては線路の上に乗っかってるのはおかしい。

 近づいてみると、その形からどうやらラッセル車のように雪を掻く機械のようだ。そうか、この辺りは雪が降るんだ。

 自走するものではなく、機関車の前に取り付けるアダプターのようなものと思われる。

 先頭の形は雪を掻き分けるようになっているが、それなら鎌首が存在する意味がなくなる。おそらく先端部分を跳ね上げて、取り込んだ雪をロータリーで鎌首から横に放り出すという働きもすると見た。線路脇に人家やなんかがあるときはラッセル、何もないところではロータリーと使い分けるのではないだろうか。

 この写真は twitter に載せたところ何人かがRTしてくれた。ちょっとうれしい。

 

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 最初は福知山線で大阪に帰ろうと思っていたが、時刻表を見てびっくり。

 この電車が福知山に着くのは14時43分だけど、福知山線の電車は15時52分まで無い。

 篠山口で乗り継いで、大阪着が18時17分。山陰線福知山発14時55分というのがあって、園部で乗り継いで京都着が16時51分。家は大阪と京都のほぼ中間だから、こっちのほうがずっと速い。結局山陰線で帰ることにした。

 それにしても今回の旅で、山陰地方の電車の本数の少なさに改めて驚いた。

 いやな言葉だけど、かつて「裏日本」という言葉があって、夢千代日記というドラマでもときどき使われていたが、いまでもJRからは「裏」扱いされているんじゃないかと思えてきた。

 車社会だから自動車で行けば良いということかも知れないけれど、竹田城跡のようなすばらしい観光資源があるのだから、せめてもう少し電車の本数を増やして、来る人を増やしたほうが町の発展につながるんじゃないかとつくづく思った。

 竹田城跡を訪ねるのが目的で家を出たけれど、姫路の温泉施設、自動化されていない改札、生野あたりの車窓から見える渓谷、アーチ橋を含めた竹田あたりの風景、落ち着いた雰囲気の和田山あたりなど、どれもすばらしいものだった。

ー終わりー